ターナー展で考えたこと ー二つの崇高論ー

ターナー展へ

  二~三年ほど前から美術館に、とりわけ絵画を観に行くようになった。最初は大学での研究に若干関わるだろうぐらいの気持ちで行っていたのだが、最近では純粋に好きで観に行くようになった。とはいえ観ていてもまだまだ何が何やらさっぱり、ということが大半。こればかりはできる限り良いものに触れる機会を増やすしかないのだと思う。

 先日は、京都文化博物館で開催中のターナー展に行ってきた。

  ターナーについての説明は以下の通り。

 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、イギリスで最も偉大な画家であるのみならず、風景画の歴史のなかで最も独創的な画家のひとりです。卓越した技法によって、嵐の海景、崇高な山、穏やかな田園風景など、自然の多様な表情を描くとともに、歴史風景画にも取り組みました。光と空気に包まれた革新的な風景表現は、今日においても多くの芸術家にとって、インスピレーションの源になっています。(上記ページより引用)

 

 それほど多くの画家を知るわけではないが、ターナーは好きな画家の一人である。第一に「入りやすい」ということ。ロマン主義の時代を生きたターナーの絵の多くは風景画であって、キリスト教の背景知識抜きにしても、ある程度楽しむことができる。西洋絵画は17世紀あたりだとまだまだ宗教画の残滓がある。後期印象派あたりまで来ると抽象度が高まってきて、理解が難しくなってくる。その意味で、自分のような初心者でも19世紀あたりの西洋画であればある程度味わえる。

 加えてもう一つ、より重要な理由がある。ターナーの絵画の通奏低音には「崇高(sublime)」という主題が流れていること。この崇高論というテーマ、自分の修論のキーワードの一つでもあり、ターナーへの関心が尽きない。

崇高とターナー

 西洋美学史上、「崇高」は「美(beautiful)」と対比されて論じられる美しさの一種、美的範疇である。雑に言ってしまえば、美は「快」の心情をもたらすのに対し、崇高は「苦」という否定的な契機を経た、「喜ばしい恐怖」とでも言える心情を与える。そしてその崇高なるものは、彼岸の水平的な他者ではなく、此岸の垂直的、超越的他者であることが多くなる。例えば、野に咲く小さな花は「美」であるのに対し、雷や嵐、そびえたつ山々、無限に広がる大洋などは、「崇高」と表現される。

  次の絵は実際のターナーの絵である。今回のターナー展の広告に使われている。

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ウィリアム・ターナー Fishermen upon a Lee-Shore in Squally サウサンプトン市立美術館

 大時化で荒れ狂う海から逃げてくる一隻の小舟があり、不気味な空は神々しくも見える雷鳴で光り、波は写実的表現を超えて荒々しく描かれている。大自然の猛威を、単に自然のみでなく、あえて人間を目立たない程度に描いており、人為(人間)に対する自然の優位というロマン主義的テーゼを読み取ることもできるかもしれない。空ー海ー岸という三つの構図があり、人間が海から岸へ押し戻されている点を考えれば、キリスト教的堕罪という主題を読み取ることも許されるかもしれない。

  いずれにせよ、ここには単純な心地よい美しさという意味での「美」ではなく、死の恐怖を想像させるような「崇高」がある。だがそもそもなぜ、わたしたちはこうした畏怖を伴う美しさに惹かれるのか。

 二つの崇高ーバークとカント、あるいはターナーとフリードリヒ

  崇高概念を美学上で論じた重要な思想家として、エドマンド・バーク(1729-1797)とエマニュエル・カント(1724-1804)がいる。バークは保守主義の父として知られるイギリスの政治家、一方カントはドイツの啓蒙思想家である。

  従来の研究では、バークの崇高論は「カントの前段階」といった程度扱いしか受けていなかった。しかし近年の研究では両者の崇高論に断絶を見る解釈が主流である*1

  両者の差異はいくつかあるが、ターナーの崇高論と絡めて重要なのは、認識論的な差異である。

  イギリス経験論の影響下にあるバークの場合、崇高なるものは経験対象であって、「崇高」が意味するのは、対象そのもの、およびそれを経験した時の主体の感情となる。例えば、崇高な山(=対象)があり、私(=主体)がそれを観て、「崇高だ」と感じる(=感情)、という具合に。バークの崇高論では、対象と感情は崇高たり得ても、主体は崇高ではあり得ない。

  ところが、カントの哲学では話が変わってくる。主体の認識形式が表象を構成すると考えるカントの場合、崇高なのは主体自身となる。経験論からコペルニクス的転回を経たカントは、まずもって主体の認識があり、その次に対象があると考える。ここから、崇高なる対象があるとすれば、それは認識主体が崇高であるということになる。

  要するにバークの崇高論では、主体そのものは崇高ではなく、あくまで対象と認識の間に断絶がある。この場合、崇高なる対象を観たとき、それは近づきがたい他者を前にして、自己との絶対的差異を痛覚させられるような感覚に陥る。自己否定および自己の不完全性を惹起するのがバークの崇高論の要諦である。他方カントの崇高論は、主体そのものが崇高となり、自己超越自己(あるいは理性)の完全性をもたらす。

  しばしば自己超越と言い換えられる崇高体験だが、先ほどのターナーの絵は、明らかにバーク的な崇高であり、カント的な崇高では説明しきれない。

  もちろん、ここで言いたいのはカントの崇高論が間違っているという話ではない。たとえば次の絵は、ドイツ・ロマン派のフリードリヒの有名な絵だが、これはカント的崇高に近いと思われる。

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《雲海の上の旅人》1818年 ハンブルク美術館 ハンブルク

  ここでは確かに崇高な山々が描かれているが、同時にそれをじっと眺望する人間(主体)も描かれている。ぼんやりと見える奥の頂と、人間が立つ場所には確かに明確な距離がある。しかし人間がその頂(崇高)への願望を持っている。超越性への思考がにじみ出ているのが、フリードリヒのこの絵であり、これはカント的な完全性の崇高に近いと言えるだろう。

  語源学的にも英語の崇高、”sublime”は、「まぐさ石(lintel)のすぐ下(sub)」*2というような意味であるのに対し、ドイツ語では”erhaben”、「上に(er)持ち上げる(haben)」ことを意味する。ここにも崇高なる対象の「下」を突きつけられるバーク的・イギリス的崇高と、崇高なる対象へと引き上げられ(超越)、近づいていくカント的・ドイツ的崇高の差異が看取できる。

 

  ターナーから話が逸れた。ロマン主義の絵画や文芸批評で中心的な概念となる「崇高」概念だが、理屈の上で二つの崇高論は区別すべきではないかと考えていた。そして今回ターナーの絵を見て、やはりターナーはバーク的な崇高の系譜に位置づけられるのだろう。

 当然、この「崇高」のみでターナーの絵をすべて説明できるわけではない。しかしターナーの絵の多くに、ある種の「垂直性」が表現されていることは間違いない。牧歌的な田園風景の中にポツンと巨木(明らかに誇張された大きさを持つもの)がそびえたっていたり、遠く離れた丘の頂上に荘厳な屋敷があったりなど、何らかの「縦」がある。

 自分の関心に引き付けて言えば、水平的な他者との交わりのみを考察対象とし、垂直的な他者を否定・忘却する近代社会にあって、ターナーの絵は重要な意味を持つ、と思う。我々は良く言えば「平等」な、しかし一方で同質的・水平的な他者のみで、あるいはそう想定することで、本当に社会を維持できるのか。暴力が顕現した歴史を忘れることなく、という念押しは当然すべきだが、この問題は避けては通れないと思われる。

*1:例えば、牧野英二(2007)『崇高の哲学』、法政大学出版局。あるいはRyan, V. L. (2001)"The Physiological Sublime: Burke's Critique of Reason." Journal of the History of Ideas, vol. 62 No.2, pp.265-79

*2:まぐさ石とは、窓や出入り口の上に渡す水平材のこと。