修論

今月上旬に無事修論を提出した。この一年の集大成である修論を書き上げるまでの過程を少し振り返って記録しておきたい。

 

三月

授業がまだ続く。月末に修論のタイトルと要約(100 Words)、および論文内容にかかわるキーワードを4~5個書いた簡単な修論計画を提出する。おそらくこれを見てその分野に適した指導教官(Superviser)が割り当てられることになる。こちらの大学院(taughtコース)は日本のように大学院入学時点から研究室に割り当てられるようなシステムではない。そのため、9-12月の一学期と1-3月までの二学期は授業(ディスカッション形式)ばかりである。その間修論に向けて何かするわけでもない。授業内容が上手く修論内容と重なれば授業に注力することが修論につながるのだが、私の場合はそうではない。

むしろこの半年はやりたくもないことをやることが多かった。大学および所属プログラムの下調べが甘かった部分は全くもって自分の責任である。だが取ろうとしていた授業が無くなっていたり、授業内容も担当教授の関心に限定されていたりと、大学側への不満もある。Feminism論やEnvironmental Studies など流行りの講義があまりにも多く、日本で言うところの「政治哲学」に近い授業は皆無であった。イライラしながらもなんとか授業をこなしていったのが九月から三月までの時期だった。

もちろん面白い授業もあった。半年で受けた六つの授業のうち、興味深かったのは前期のNationalismと後期の社会哲学(授業名は ”Explanation and Understanding in Social and Political Research”)だろうか。前者はナショナリズム論の基本的論争、理論家の紹介が主な内容である。アンダーソンやゲルナー、アンソニー・スミスはもちろん、マイケル・マンやグリーンフェルド、ロジャー・ブルーベイカーらの近年の理論家も扱う。これほど包括的かつ理論的にナショナリズムを概観できる授業は、日本ではまずない。イギリスというよりもエディンバラだからこその授業であり、終始関心が尽きなかった。後者は、授業名から社会科学の方法論的なものを予想していたのだが、内容はそれを大きく超えていた。そもそも社会とはなにか(社会存在論)や、制度あるいは貨幣とは何かという社会哲学上の問題を扱う授業であった。「社会は如何様に存在しているのか」という問いを、単なる「研究手法」や「立場」の問題で済まさず、哲学的に問う理論家の議論を検討する。一昔前のアメリ政治学の影響が強い日本では、自然科学的アプローチを援用して社会科学的問いを探求するのが主流だが、ここではもはやそれも時代遅れになっているようである。社会を利己的個人の機械的集合体としか見ない「社会科学」に学部生の頃から辟易していた私からすれば、この授業は非常に魅力的であった。

だが政治理論・政治哲学を学ぶためにこの大学へ来た以上、そちらのテーマで修論をやりたかった。迷いに迷った挙句、とりあえずH.Gガダマーをやろうと決めた。以前から気になっていた哲学者であり、昨年末ドイツを旅行してハイデルベルクを訪ねたときには、ガダマーの墓へ参った。以来ガダマーへの興味が膨れ、どうせなら全力で取り組めるうちにやっておきたいと思い、無謀を承知で修論計画書を提出した。

 

 

四月

第三週あたりまでで、後期の授業のエッセイをすべて提出した。全部で10000 wordsぐらいだったと思う。これですべての授業を終了させた。残すは文字通り修論のみとなった。

同じぐらいのタイミングで指導教官が決まった。今年の1月からエディンバラ大学でLecturer(講師)としてカナダから赴任してきた人あった。つまり博論を書いてPh.Dを得たばかりの人である。年齢もそれほど私と変わらない。心配になったのは、私の修論テーマの分野に関してはほとんど知らないのではないかということである。英米のリベラル系の人であればなおさら実践哲学の系譜に当たる、しかも大陸系の哲学者であるガダマーなどには関心を持たないであろう。もちろんガダマーに詳しい人など最初から期待していないが、せめてリベラリズム批判に通じている人であることを期待していた。

そんな懸念を抱えつつ、四月末に面談をした。面談では現時点での修論構想を議論する。"Gadamer's conservatism"という仮タイトルで、おおよその計画を話す。ガダマーの解釈学をバークらに連なる保守主義として解釈し再構築するのが目的だと伝えた。しかし案の定その指導教官はガダマーの名前すら知らない様子である。バークやオークショットの名前を出してようやくピンときた様子だった。仕舞いには「conservatismやHermeneuticsに関してはよくわからないから、他の教授にアポ取って話を聞きに行ったほうがいい」と言われてしまう。

言われた通りにHermeneuticsに詳しいと紹介された講師にメールを送ったところ、「Feminisimの観点からのHermeneutics には精通しているが、Gadamerに精通しているわけではない」と言われ、結局Hermeneuticsに関わる論文をいくつかメール上で紹介してもらうに留まった。

昨年九月以来徐々に蓄積されてきた不満が、この時ピークに達した。指導教官に対してではなく、この大学、あるいは学界に対してである。少なくともこの大学の(そしておそらく英米系の)政治哲学関連のアカデミアでは、もはやリベラリズムやコスモポリタニズムといった「主流派」と流行の分野以外の受け皿がないのではないか。これは個人の思想信条の問題ではない。教官がどんな思想を持っているかはどうでもよい。そうではなく、一研究者であるにもかかわらず、「非主流派」の思想は存在すらしていないかの如くネグレクトしている、その態度に疑念を禁じ得ない。

指導教官からもその他の教授からも、構成などの表面的な部分以外で有益なアドバイスはほとんど何ももらえないと分かった。当然周囲の学生で私のようなテーマを選んでいる人もいない。自分一人でこの修論と向き合わなければならないと悟った。

 

 

五月

修論執筆の時期に入った。提出期限は8月8日。しかしこのとき私は軽いうつ状態だったと思う。もともと親しく話す友人も数人しかおらず、さらに授業が無くなったことで人と会う機会が減っていた。加えて一人で修論に取り組まなければならないという重圧が、絶えず私を憂鬱な気分にし続けた。

次第に論文も文献も読む気がしなくなっていった。第二・三週は一本も論文を読めず、ただ家に引き籠っていた。映画やドラマを見ては無為に一日が終わる生活だった。一日中ベッドから出られなかった日もあった。何も出来なかったというその日の罪悪感が、次の日の活力を奪い、じわじわと深みに落ちていくような日々だった。

五月も終わりそうなあたりで自分の異変に自覚的になった。もともと海外で生活するにあたって精神状態に注意するようには心掛けてきたので、精神の衰弱はこういうものかとも思った。

そこからはできるだけ体を動かしたり、人と話したり、外に出歩くようにした。

次第に修論に対するやる気を取り戻した。四面楚歌の状態におかれたことで、むしろ一人ですべてやり通してやろうという不退転の決意を持つに至った。

 

 

六月

おおよその章・節の構成が定まり、そこからはひたすら文献を読みつつ書き続けた。修論の字数は15000 words だったが、六月末時点で5000 wordsぐらいだったと思う。

気概はあっても容易に進められないのが、母国語以外で論文を書くことの大変さなのかもしれない。

論の骨子を考えていくのは日本語でも英語でも変わらないため、大きな構成を考えるのはそれほど難しいことではない。だがそこに表現という肉付けをする作業は、やはり一筋縄ではいかない。ひたすら内容と表現を同時に推敲しながら少しずつ論を進めていった。

 

 

 七月

七月に入った段階で指導教官から進捗を伺うメールが来た。同時に、「conservatismに詳しい講師が移ってくるから、アポ取って議論してくるといい」という話を聞き、早速その講師に連絡した。

しかし「サバティカル(長期休暇)のためエディンバラに戻ってくるのは八月になる」との自動返信が届く。

どうやら最後まで一人でやらなければならないらしいと悟った。結局この講師からは八月に入って返信が届き、conservatism 関連の文献をいくつか紹介してもらうにとどまった。最終的に指導教官との最初の面談以外、アドバイスらしいアドバイスは受けられなかった。

七月末の時点で初稿が完成した。一通り書けると一気に肩の荷が下りた。私のような日本人にとって英語論文は「締め切り前の追い上げ」などで慌てて書こうとしても書けるものではない。その意味で字数一杯で論じ切った時点でかなりの安心感があった。

 

 

八月

気分が楽になったと同時にエディンバラには祭囃子が鳴り響く。毎年8月は世界規模の大きさを誇るFringeという芸術祭がこの街で開かれる。ミュージカル、マジック、演劇にコメディ。この一か月間、様々なジャンルの芸術が街のいたるところで見られる。大学のキャンパスにも舞台やビアホールが設置される。初稿ができていなければ地獄だった。

構成段階でかなり時間をかけたので、特に大きな議論の修正をすることもなかった。第四稿ができた時点で満足したので、締切一日前に無事提出した。

 

 

現在は採点中である。こちらの大学院では、修論も授業と同様の基準で点数が付けられる。評価が悪くなければ、無事修士課程を終えて修士号を取得できる。あと数日で寮を出て、イングランドに少し滞在したのち帰国する予定である。

 

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修論執筆中の自室

追記

九月

無事論文の採点が終わった。評価も「優」に当たる評価だったのでホッとした。イギリスの修論では匿名の採点者(聞くところ学外の人間)二人からコメントがつく。そのうちの一人は、評価文から推測するにガダマーに通じている人だが、かなり評価してくれた。誰にも解されないと思って書いた修論だっただけに、点数以上の嬉しさと達成感があった。